サステナブルな社会の実現!! 私たちができる唯一の方法とは?
2020/11/30
サステナブルな社会の実現!!
私たちができる唯一の方法とは?
本当にサステナブルを追求している人は消費を減らそうとしている。
一方で企業はサステナブルを掲げ、販売促進し、消費を促す。
ふと疑問に思ったこのギャップをつぶやいたところ多くの共感者が…
本当にサステナブルを追求している人は消費を減らそうとする
一方で
企業はサステナブルを掲げ、
販売促進し、消費を促すいずれは高いリサイクル素材の値段の叩き合いが始まり、どこかで誰かが労働搾取の対象になる
資本経済の中でサステイナブルを追求する事自体に矛盾があるのかも知れない
— Makoto Kajihara/地捨地産で地域の魅力発信 (@WAcKA0113) November 24, 2020
私の知る限り、真にサステナブルを追求する人に消費を加速させようと言う考えの人がいない。
本当に必要なものを!
必要な時に!
必要な量だけ消費する。
そして長く使う。
自分の消費行動で世界が大きく変わることを知っている。
その商品やサービスを提供する企業が
本気でサステナブルに取り組んでいるのか?それとも表面的なのか?
そのことも理解し、消費している。
買い物は投票
まさにその言葉を実践し、消費の力で社会を変えようとしている。
一方で今や多くの企業がサステナブル・SDGs・エシカルを掲げる。
これは数年前に私が目指してきたはず社会
しかし何か?違和感を感じる!!
サステナブル・SDGS・エシカル
耳当たりのよい響きの良い言葉のはずがなぜか?雑音に聞こえる。
その原因は、サステナブルを掲げながら、消費を促す宣伝文句として使用されているからに他ならない。
これでは持続可能な社会ではなく、持続可能な事業を実現するためのツールになってしまっている。
Black FridayやCiber Mondayなど日本の文化背景に無いモノまでが販促ツールとされ、
11月29日はいい肉の日など本来なんの関係のない日も特別感を煽り、低価格で販売促進される。
ここでも真にサステナブルを追求する人は
応援する企業、本当に欲しい商品を低価格や割引価格で消費する事を望んでいない。
その他にも
『SDGsで儲ける〇〇セミナー』や『お金になるサステナブル講座』などをSNSで見かける。
主催する方もそうだが、それに釣られて参加する人がいると言うのも異常な現象だと思える。
こうなってくると確信犯的にビジネスツールとして活用されていることが明らかだ。
しかしながら私たちの住む世界は資本主義社会
本来、消費が発生する事で市場が潤い、経済が回るシステムの中で暮らしている。
本当にこのシステムの中で、サステナブルを追求し、持続可能な社会を実現する事ができるのだろうか?
誰の心に刺さるサステナブルなのか?
特にアパレル産業の中では、サステナブル・エシカルを打ち出すブランドが急激に増加している。
多くの企業の打ち出しは❝サステナブルなリサイクル素材を使用しています。”と言うもの
リサイクル素材を使用すれば、サステナブルなのか?
リサイクルされるから大量生産・大量消費はOKなのか?
おそらく答えはNOです。
いずれこの発想はコストを下げるために大量生産し、そのために大量消費を煽る。
結果的に大量に売れ残り、リサイクルする量が増える。
しかしリサイクルする事、そしてその素材を使用することで、根本的な問題である大量生産から目をそらす。
グルーバル展開する企業であれば、人口増や経済発展とともに消費増が見込める為、この考えが適合するだろう!
しかし、人口減、消費減している日本市場のみをターゲットにしている限り、この負のスパイラルからは逃れられない。
むしろ国内での生産や近隣の国で、できる限り短い期間で、できる限り必要最低限の量で、廃棄量削減に努めた販売方法を考える方がサステナブルと言える。
では多くの企業が宣伝文句として使うサステナブルは一体誰の心に刺さっているのか?
おそらく真にサステナブルを追求している人の心には刺さっていない。むしろ大声で叫ばれるサステナブルには嫌悪感を示している。
残念ながら、現在の日本におけるサステナブル・エシカルは一過性のブームと感じざるおえない。
商品やサービスを販売するための仕掛けとその仕掛けられたブームに乗っかる消費で成り立っている。
しかし折角、訪れたブーム
これを機に一時期のトレンドではなく、文化として定着され、サステナブル・エシカルが当たり前の日常になる事を実現したい。
サステナブルな素材 もちろん大切です。
しかしそれよりも理念や取り組みはより大切です。
買うことは減らし、求めることを増やす
引用元:Patagonia
この言葉はパタゴニアのHPで発信されているメッセージです。
私たち消費者が買うものが変える力を持った選択
私たち一人一人の消費選択によって未来は大きく変わります。
大量生産は雇用を生み出すと言う幻想
大量生産は間違いなく、多くの雇用を生み出しています。
これは紛れもない事実です。
では生み出された雇用の質と問われるとどうでしょうか?
安全な環境で、適正な賃金で、過重労働もなく、豊かな暮らしが送れ、子供の教育にも力を入れる事ができる多くの雇用が生み出されているでしょうか?
おそらくこれも答えはNOです。
もちろんこれらを実現されている企業も多くあるとは思います。
こう言った議論がなされる場合、発展途上国での労働に着眼されることが多いですが、実はこれ以上に問題なのは日本の実態だと考えています。
大量生産は多品種小ロット!!
大量生産と言えども、1つのものを多く作るわけではありません。
また年がら年中、新しい企画・デザイン・素材の開発をし続けなくてはなりません。
これにかかる労働負荷は図りしれません。
しかしながらその労働対価に見合う賃金を手にしている人は限りなく少ないです。
アイデアを生み出すと言うのは何よりも労力がかかることなのです。
実際に店頭にお目見えするのは、企画された商品のほんの一部でしかありません。
実際にはもっと多くの企画が生まれ没になっています。
昔、グラフィックの提案をしていた時、10柄決めるのに最低、100柄を提案しなくてはいけませんでした。
採用されない90柄は没となり、企画として廃棄されます。
しかしこの没柄は世に出る事ができないだけではなく、賃金も発生しません。
仮に1日5柄考えたとして、100柄考えるには20日間
あり得ませんが、自給1,000円としても8時間労働20日間で、160,000円
実際は
1柄は良くても10,000円ほどしか貰えません。下手すれば3,000円程度です。
あり得ない自給計算1,000円と換算しても16万円です。 それにも満たない1柄3千~1万円で取引されているのが現状です。
下手すれば、1ヵ月稼働20間で1柄3,000円だとした場合、たった3万円の収入です。
本来時間に関係なく100柄のデザインを生み出す労働をしたわけなので、最低でも100柄×3千円としても30万
結果的に自分ややりたいデザイナーと言う仕事を続ける為、多くの人はアルバイトや副業で生計を立てているのが実態です。
このことを表現する言葉として『労働搾取』以外には言葉が思い浮かびません。
もしサステナブルを謳う企業のグラフィックTシャツのプリントデザインがたった3万円しか収入を得れないデザイナーが描いたものだとしたら、皆さんはどう思いますか?
それでも安さを求めますか?
大量生産品を販売するのは誰か?
企画、同様に負荷が掛かるのは、物流や販売員です。
多品種の大量商品
物流であれば、オーダーした翌日には届く仕組みの中での労働
販売員であれば、過剰なサービスを要求される中での労働
非常に過酷な労働条件の中で、その労働対価に見合わない労働条件で働いている。
こじつけの販促活動が頻繁に行われれば、行われれるほどに、出荷量や来客数が集中し、より対応に追われる。
問題なのはこれらの労働により
安全な環境で、適正な賃金で、過重労働もなく、豊かな暮らしが送れ、子供の教育にも力を入れる事ができていない。と言う事
1,000円のものでも明日には届けないといけないシステム
販売価格に関係なく求められるサービス・セール品、値下げ品も同じ対応を求めれれるシステム
大量に生産された商品を大量に消費する為に、そのはざまに存在する労働力があってこそ成り立つ仕組み
そこには確かに多くの雇用を生み出すが、途上国での生産現場とさして変わらぬ労働環境が存在する。
そして低価格でしか商品・サービスを消費できない環境が、更に途上国での労働環境悪化を招く。
消費者として考えなくてはならない
本当に明日必要なのか?
本当に自分が求めるサービスと価格が見合っているのか?
そしてこれらの労働負荷の日常は、未来の環境負荷をも生み出す。
サステナブルを謳う企業の本質を見抜くのも消費の力
正しい消費を導くのも消費の力
過酷な労働環境を変えるのも消費の力
所得を上げるのも消費の力
私たちが唯一、世界を変える方法は消費の力です。
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